新年号「令和」が発表されてまだまだ話題が付きませんが、その中でも注目されているのが「万葉集」です。でも何しろ全部漢字なので更に難しい現代語に訳さないといまいち意味が解らない。
「令和」は日本最古の和歌集である「万葉集」の「梅花の歌三十二首の序文」から取った言葉ということで、「万葉集」の人気がでて本が売り切れる事態になっているそうです。
そこで、私と同じく「原文は難しい!」と感じてる人に「梅花の歌三十二首の序文」の意味と「現代語訳」を紹介したいと思います。
令和の出典は万葉集の現代語訳【万葉集とは?】

引用:岩波文庫
万葉集は、奈良時代末期にまとめられた、日本最古の和歌集全20巻、約4500種の歌がおさめられています。
歌人は、額田王、柿本人麻呂、山部赤人、大伴家持など、天皇や貴族、宮廷歌人、そして作者不詳の防人や農民などさまざまな身分の人の歌もあるそうですよ。
万葉集は「相聞歌」「雑歌」「挽歌」に分類されており、その中に章題が付いています。
「梅花の歌」の正式な章題は、「太宰氏大伴卿の宅にして宴する梅花の歌三十二首」
新年号「令和」はその序文からとなります。
令和の出典は万葉集の現代語訳【「梅花の歌三十二首の序文」の序文とは?】
序文とは、短歌が出てくる前に歌ではない文章が付いてきます。それが「序文」です。つまり、梅の花の短歌を集めた事由が述べられている文章ということです。
「天平2年 西暦730年春、九州の太宰府にある邸宅で開かれた歌宴」と記されているので、大半旅人(おおとものたびと)が、31人のお客を招いて、庭に咲く梅を読み比べる歌宴を催したその様子を綴ってあり、そこで読まれた歌が三十二首というわけです。
序文は、大半旅人(おおとものたびと)自身が作ったとされています。
では、「令和」はどの部分から出典されたのでしょうか?
「時に、初春の令月にして、気淑く風和く。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」の部分が「令和」の出典です。
現代語に訳すと「初春(しょしゅん)の素晴らしい月で、空気はよく風は和(なご)やかに」となります。
安倍晋三首相は、新元号「令和」に込めた意味について「悠久の歴史と香り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、
見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込めた」と語っています。
まとめ
いかがでしたか?新年号「令和」を万葉集から出典という事で、万葉集に興味を持った方も多いはず。元号の漢字を日本の古典(国書)から採用したのは確認できる限り初めてということもあり、好意的な意見も多いです。
この機会に改めて万葉集を読んでみたくなりました。
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