オスマン帝国の歴史を簡単に!帝国史上重要な皇帝やヒュッレムも!

トルコ

オスマン帝国は、皆さんよくご存じのローマ帝国に匹敵するほど近代の歴史に大きな影響を与えた帝国だという事を皆さんご存じでしょうか?

 

近年宮廷史ドラマでも日本で放映されるようになり、およそ600年続いたオスマン帝国の歴史を簡単に知りたいと思われた方も居るのではないでしょうか?

 

この記事では、オスマン帝国の歴史を簡単に説明するとともに、最盛期を築いた皇帝、スレイマン1世や帝国史を語るうえで外せない皇妃ヒュッレム、皇妃キョセムを紹介したいと思います。

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オスマン帝国の歴史を簡単に!帝国史上重要な皇帝やヒュッレムも!【オスマン帝国とは】

オスマン帝国とは、14~20世紀初頭まで存在したトルコ族の一首長オスマン1世を始祖とするオスマン朝から発展して成立したスンニ派、イスラム帝国 (1299~1922)

 

小アジアからバルカン半島、地中海にも進出し、君主であるスルタンが教主カリフの地位を兼ねる体制をとり、イスラーム教世界の盟主として16世紀に全盛期を迎え、ヨーロッパ=キリスト教世界に大きな脅威を与えました。

 

17世紀末からヨーロッパ諸国の侵攻、アラブ諸民族の自立などによって領土を縮小させ、次第に衰退し、19世紀、近代化をめざす改革に失敗、第一次世界大戦でドイツと結んだが敗れ、1922年に滅亡。

 

小さなイスラム王朝から徐々に勢力を拡大し15世紀にはピザンチン帝国を奪取。ヨーロッパ諸国やアフリカの北西部、イスラーム諸国を征服し大帝国を築きました。

 

オスマン帝国は、トルコ系のオスマン家出身者を君主としていましたが、その領内にはアラブ人、エジプト人、ギリシア人、スラヴ人、ユダヤ人などなど、多数の民族から形成される複合的な多民族国家であったため、帝国の領土内では自らの宗教や慣習を保つことを許していました。

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オスマン帝国の歴史を簡単に!帝国史上重要な皇帝やヒュッレムも!【皇帝スレイマン1世】

オスマン帝国を最盛期に導いた皇帝。

26歳で第10代スルタンとなり、1520~1566年の46年間もの間皇帝として君臨しました。

スレイマン1世の在位中に、オスマン帝国の領土はおよそ2倍に拡大。

1538年、地中海ではプレヴェザの海戦でハプスブルク帝国・ローマ教皇・ヴェネツィア共和国などの連合海軍に勝ち、地中海を「スレイマンの海」と化し、

オスマン帝国の始めから続いた貨幣の鋳造を続け、租税制度を整備して、州制度を拡大、スルタン専制政治を完成させた人物。

 

オスマン帝国の皇帝は伝統的に結婚をしてきませんでしたが、スレイマン1世は、ヒュッレムと結婚します。

 

そして、当時としては珍しく、一夫一婦制を貫きました。

 

1557年、当時の建築家ミマール・シナンは、イスタンブールの旧市街に有るスレイマニエ・モスクスレイマン1世とヒュッレム・スルタンの永眠する場所として建築しました。

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オスマン帝国の歴史を簡単に!帝国史上重要な皇帝やヒュッレムも!【皇妃ヒュッレム】

オスマン帝国を語るうえで外せないのが、ヒュッレム(アレクサンドラ)という女性です。

 

ヒュッレム(アレクサンドラ)の出自については諸説があり、彼女が宮廷内外で「ロシア女」と呼ばれていた事実からウクライナの出身と考えられています。

 

ヒュッレム(アレクサンドラ)は、1520年頃、ロシア南部のルテニア地方を略奪に来たタタール人によって奴隷となりイスタンブールへ連れていかれ、裸で競りにかけられました。

 

ヒュッレム(アレクサンドラ)はそのなかでもひときわ目立つ美貌を持っていて、彼女を買ったのが、オスマン帝国の大宰相パルガル・イブラヒム・パシャ。

 

その後、皇帝スレイマン1世の目にとまり、寵愛を受け、男児を出産。第2夫人にまで上り詰めました。当時、皇帝は妻を迎えないのが慣習でしたが、スレイマン1世の溺愛っぷりは他に類を見ないもので、ヒュッレムを正式に妻としたのです。

 

慣習を覆し、皇帝の愛を手に入れた彼女はその後、外交や国政にも関与するようになります。奴隷の立場から皇后にまで登りつめた伝説の美女として、後世に語り継がれることになりました。

 

当時正式に妻を娶る事はほとんどなかったそうですが、よほど愛されていたのが解りますね。

 

15歳に満たぬ少女、アレクサンドラという名前でしたが、彼女の美声と機知に富む会話には、不思議な魅力があり、「ヒュッレム(陽気)」となずけられました。

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オスマン帝国の歴史を簡単に!帝国史上重要な皇帝やヒュッレムも!【皇帝アフメット1世】

アフメット1世は、内政でも外政でも目立った成果を上げてはいないのですが、スルタン・アフメト・モスク(ブルー・モスク)を建てさせたスルタンとして知られています。

 

オスマン帝国では、将来の王位継承争いを未然に防ぐために、新しく即位したスルタンの兄弟とその息子たちは処刑されるのが慣例でした。

 

メフメト三世が予期せぬ病で早世したのち、即位したアフメット1世は13歳であり、まだ子供がいなかったために王家の慣例に反して、弟ムスタファは処刑されませんでした。

 

まもなくアフメット1世が王子をなしたあとも、おそらくはムスタファが精神を病んでいたゆえに、彼はそのままハレムの一室に軟禁され続けたといわれています。

 

こうして、新スルタンの即位時に兄弟たちが処刑されることはなくなりました。ですが、機会に応じて処刑される例はまま見られたそうです。

 

権力構造における大きな変化は、スルタン以外の人々が権力をにぎり、党派を形成して国政に関与するようになったこと

 

スレイマン1世時代までのオスマン帝国では、スルタンただひとりが絶対的な権力を手にしていた

 

アフメット1世は、即位当初には複数の寵姫との間んい子供をもうけ、スルタンとしての責務を果たしていましたが、即位後まもなくしてキョセムがハレムに献上されると、アフメット1世は次第にキョセムひとりを愛するようになったのです。

 

アフメット1世がキョセムを深く愛していたことは、ふたりが正式に結婚していたことからもわかります。

 

ヒュッレムのときにも述べたように、いくらスルタンの寵愛をうけていても、奴隷出身である妃がスルタンと正式な婚姻関係を結ぶことはまれです。

 

のちにキョセムがヴェネツィアに送った書状において、ふたりの正式な婚姻について言及されていることが、近年、明らかになっているます。

 

そのアフメット1世は、1617年、27歳で早世。

 

あとを継いだのは、彼の息子ではなく、幽閉されていた弟ムスタファであり、彼はムスタファ一世として即位。

 

オスマン帝国史上初の、弟による王位継承。しかし、精神的な弱さからスルタン位の重責を担うことができなかったために、即位から96日後、玉座はオスマン2世のものとなりました。

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オスマン帝国の歴史を簡単に!帝国史上重要な皇帝やヒュッレムも!【皇妃キョセム】

キョセム・スルタン 1590-1621(オスマン帝国)

 

スレイマン1世(位1520-66年)の寵姫として名高いヒュッレムすら超えていたオスマン帝国史上、女性としては最大にして最長の権力をにぎった女性。

 

彼女はギリシャ人で、ティノス島に住んでいたアナスタシアという名のごく普通の少女だったのですが、イスラム海賊に拉致されイスタンブールに送られ、アフメット1世のハレムに入ることになってしまいました。

 

ところがその美貌でアフメット1世に気に入られて寵愛を受け、10人の子どもを儲けました。

 

キョセム・スルタンは、頭もキレる上に野心もあったようで、何百人も愛妾を抱えるハレムを支配し、宰相や大臣、軍人にまで影響力を広げ、政治にまで介入するようになりました。

 

彼女の本名は、キリスト教の聖人にちなんだ「アナスタシア」であったといわれていますが、ハレムに入ったときに彼女に与えられた名は、「月のような顔」を意味するマフペイケル

 

しかしアフメット1世の寵愛を得たのちの彼女は、次第に別の名「キョセム」と呼ばれるようになりました。

 

キョセムとは、群れを統率するリーダー格の羊あるいは羊どうしを闘わせる競技で用いられる羊のことをいい。彼女にとってふさわしい名前と言えます。

 

キョセム・スルタンは、アフメット1世の后として7人の王子をなしました。

 

アフメット1世の死後(1617年、27歳で早世)は、彼の弟であるムスタファ1世(1617-18年、1622-23年在位)と他の妃の息子であるオスマン2世(1618-22年在位)の短い治世をはさんで、彼女の息子である17代皇帝ムラト4世(1623-40年)とイブラヒム(1640-48年)、そして孫の19代皇帝メフメト4世(1648-87年)が即位。

 

キョセムは、3人のスルタンの母そして祖母として権勢をふるい、「オスマン帝国で最も強力な女性」と評され、ハレムにいながら各所に隠然たる力を持ち、息子ムラト4世を皇帝に就けたし、孫のメフメト4世も皇帝にすることに成功しています。

 

キョセムに対抗したのが、メフメト4世の妻でクリミア出身のトゥルファンという女性。

 

ハレムにやって来た時はわずか12歳だったものの、成長するにつれその野心の高さはキョセムにも劣らず、皇帝の后という立場を活かし、王宮に仕える高官で黒人奴隷出身のキズラール・アーシュの支援を得てキョセムの排除に乗り出しました。

 

キョセムはもう一人の孫を王位に就けて力を削ごうとしますが、自身の部下が寝返り陰謀は失敗。メフメト4世を排除しようとした罪で処刑されてしまいました。

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まとめ

いかがでしたか?オスマン帝国の歴史を簡単に紹介するとともに、オスマン帝国を語るときには、外すことのできない皇帝スレイマン1世、皇妃ヒュッレム、メフメット1世、皇妃キョセムを紹介させていただきました。

 

トルコでも歴史ドラマが放映されています。ドラマの構成上、事実と違うところも有りますがある程度の歴史が解るので、参考に見てみると面白いかもしれませんね。

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